井上逸兵のひとりごと
 
*このページへのご意見、ご感想は好意的なものだけいただきます
 
2006年1月15日号
 
名は体を表す
 
© Ippei INOUE
 
この冬の一番の話題は雪だろう。関東平野部以外のほとんどのところが痛い目にあった。
 
雪はきれいだし楽しい面もあって、雪国暮らしもけっこういいものだと僕は思うが、このような事態になると、いかに非雪国では払う必要のないコストを払わねばならないかをあらためて感じさせる。
 
雪の被害にあった人たちはお気の毒だが、一連の報道で興味深かったのは、雪が軽いものだと思っている非雪国人が意外に多かったということだ。テレビでも雪の重さがしきりに強調されている。今年のは特別重いらしい。
 
北陸の重い雪で育った僕にとっては、雪の映像を見ただけで重さを想像することはまあ容易だが、雪をあまり知らない人は綿菓子ようにフワフワしたものだと思うのかもしれない。
 
これは、外見はしばしば人を欺くという教訓である。僕もよく雪のように清らかで美しく、軽やかでさわやかだと言われるが、実は内面はずっしりと重厚な人物であることは周知の事実である。時として原稿や提出物が締め切りを過ぎることがあるのも重厚で思索が深遠であるがためである可能性があるのである。ただし、その可能性をそのためでない可能性と比較するのは大人げないというものだ。
 
外見や名前と期待した中身との違いに我々はしばしばとまどう。シロクマに「キャーかわいいー」とか言って近寄っていけば、がぶりと食われてしまうのがオチである。松嶋菜々子もそうやってライオンに食われたにちがいない。カニ蒲鉾がカニでできていないことを知ったときの裏切られた気持ちは忘れることはないだろう。誰もがカニかまのばかやろーと叫んだはずだ。ウコンと聞けば、体にいいと思うより先にトイレに流したくなるものである。
 
名には何か分かちがたいイメージがつきまとうものだ。
 
ドラえもんのジャイアンはゴウダタケシという名だが、ジャイ子は本名だという説がある。少なくとも本名は明らかでないらしい。ニックネームとして後天的に「ジャイアン」と呼ばれるたけしくんはいいとして、生まれながらに「ジャイ子」と呼ばれる彼女が受けてきた苦痛は計り知れないものだったに違いない。虐待と言ってよい。
 
 
小学校の低学年の頃だったろうか、今でも忘れられない出来事がある。
 
僕は近所の公園で友達と遊んでいた。その時、その広場の隣で何かの工事が行われていた。そして、休憩中と思われる工事のおっちゃんが僕に話しかけてきたのである。暇つぶしだったろうと思われる。やたらと見ず知らずの子に話しかけられない今と違って、当時はそれ自体どうってことでもなかった。
 
「おう、ぼうず。なんて名前だ?」
 
今ではあり得なさそうなこのおっちゃんの社交的語りかけに、当時からシャイだった僕は恥ずかしげに自分の名を告げた。子どもの頃、クラス替え後最初の自己紹介などで自分の名前を人前で言うのが苦痛だった。コミカルな名前に失笑を買うことが常だったからである。
 
ところが、このおっちゃんの反応はまったく予期しないものだった。
 
「イッペイ?・・・女みたいな名前だな。」
 
 
会いたい。このおっちゃんに会いたい。なぜ?どういう意味だー?シャイで幼い子どもが即答でおっちゃんに真意を問うのは無理だった。
 
以来、悶々と僕は悩み続けた。それから30年あまり(ま、細かいことはいいとして)、このおっちゃんの言葉が脳裏から離れない。
 
聞き違いという可能性ももちろん考えた。でも、いったい「いっぺい」に音の似た女の名前って・・・。ギャグ?もしそうなら、この工事のおっちゃんの知的水準はかなり高いものだったろう。なんてシュールなギャグだ。それとも僕が「女」を聞き違えた?いやぜったい聞き違えていない。九十九歩くらい譲ってそうだとして、何と?だんな?かんな?みんな?ヨン様?
 
この謎が解ければ、僕の今生の苦悩はほとんどなくなったに等しい。というより、この苦悩のために僕はもっと悩むべきだったことに悩んでこられなかった。悩みの許容量をこの案件が占有してしまい、あらゆる悩みの候補をはじき出してしまったらしいのである。万が一、僕のことを能天気なやつと思っている方は、そのような深い事情を考慮せねばならない。
 
ああ、おっちゃん、いまどこに。
 
ひとりごと2006年のフロントページに戻る
もっと以前のも読む
井上逸兵のホームに戻る