井上逸兵のひとりごと
 
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2006年6月1日号
 
我が輩は坊ちゃんの草枕
 
© Ippei INOUE
 
 我が輩は錨である。名前はまたない。
 親譲りの無担保で小供の時から損ばかりしている。
 智に働けば腹が立つ。情に棹させばうなされる。意地を通れば洞窟だ。とかくに日との吉は住みにくい。
 
ちょっと小説を書いてみた。言っておくが、これは決して盗作ではない。構図を借りることはあったが、色彩や絵の具の重ね方が異なり、まったく別物である。だいいち、漱石は紙に書いているが、僕はウェブ上に書いているので、質感がまったく異なる。したがってまったく盗作ではない。
 
たしかに、漱石とは千円札だった頃に交流があり、僕の財布の中では諭吉は駆逐され漱石ばかりだったので、彼には大きな影響を受けた。家族ぐるみのつきあいだったし、盗作と言われるのは心外だ。百歩譲って、ピカソだって盗作の天才と言われているのだから、盗作だっていいのだ。
 
まねることは創造の基礎トレーニングである。小林秀雄だって、模倣は創造のはじまりだというようなことを(たしかどこかで)言っているし、日本語の「学ぶ」は「まねぶ」←「まねる」から来てるようだから、まねることはとても大切なことなのである。
 
誰しもちょっとした小ギャグをどこかから拝借してくるなんてことがあるだろう。太蔵氏だってピカソのように模倣をしたまでだ。音楽なら8小節までは(たしか)パクってもいいのだそうだ(テレビで誰かが言っていた)。けっこう大らかだね。
 
僕がピカソの次にインスパイアされるのは、天才バカボンに登場するニセモノばかり書いている作家である。彼の作品群:
 
『イワシのばか』
『宝鳥』
『ウソップ童話』
『ノン・キホーテ』
『乞食玉子』
『苦草物語』
『ああ無理』
 
すばらしい。彼はまちがって買う客のおかげで生計を立てているのである。ちなみに、このセンセイは酒の好きなノーメル賞作家とあがめられている。
 
それにしても、
 
 美術界では、他者の作品を一部借りる行為が珍しくなく、「盗作」かどうかの判断は難しい・・・。美術評論家の瀬木慎一氏は「ほかの作家の作品を使う行為は多くの巨匠もしている・・・」(産経新聞:Yahoo!ニュース)- 5月29日3時16分更新
 
のだそうだ。よくわからん。それこそビミョーだ。しかし、スーギ氏もイタリアでは日本のおすぎ氏くらいには有名らしいが、よく今まで気づかれなかったものだ。ひょっとして、似たような話がゴロゴロでてくるんじゃ。まあ賞を取らなければ、そっとしておいてもらえただろうね。
 
さて、僕も何か書こうかな。『パリー・ホッター』、『ダ・ウンチ・コード』、『東京クワー』、『博士の愛した株式』、『国家の品川』、ええと、ええと、それからそれから・・・。
 
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