井上逸兵のひとりごと
 
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2006年7月15+1日号
 
記憶
 
© Ippei INOUE
 
最近、記憶力の減退がはなはだしい。
 
同じ人に同じ質問を3度する。
 
2度目の時にはだいたい質問後に1、2秒ほどのポーズがあって苦笑いをしながら答えてくださる。この間(ま)と苦笑いで、シマッタ以前にも同じこと訊いたっけと思い至る。
 
目上の人だったりすると気まずいが、幸い目上の人は僕と同じくらい記憶力が減退していることもあって助かる。「あれ?言わなかったっけ?」と言われた瞬間に以前も同じ質問をしていたことに気づくが、「いえ、聞いてないです」とシラを切る。このあと「へえ、そうなんですか!?」と新鮮な反応をして礼を尽くすことも大切なことである。
 
3度目に同じ質問をするとほとんどの場合3秒以上のポーズがあり、場合によってはもう答えてくれない。やさしい女子学生などは、「せんせー、それきくの3回目ですけど!」と敬意のこもった罵声を浴びせかけてくる。なんて尊敬されているのだろう。
 
僕の脳にあるはずの記憶装置の、唯一よいかもしれない機能は、好ましくない記憶、平凡な記憶、もしくは想像しただけの記憶をいつのまにか好ましい現実の記憶に変換していることのようである。
 
そういえばかつて僕は竜宮城に行ったことがある。かすかにその記憶がある。いや間違いない。とても大きな亀だった。美しく楽しいところだった。なぜか呼吸ができた。玉手箱もついこの前までとってあったが、ヤフーのオークションで売ってしまった。もちろん、歌舞伎町や六本木あたりの竜宮城では決してない(そんなところがあるのかも断じて知らない。いやいやぜったいに知らない)。
 
こんな僕にもちゃんと憶えていなければならないこともある。僕の記憶はすっかり外部装置に頼りきっている。パソコンさまさまである。授業後に学生に言われたことも教室を出るとすでに忘れている。もらった紙の文書もよくなくす。「悪いけど今言ったことメールで送ってくれる?」と頼む。事務の方にも可能な限り文書はメールでくださいとお願いしている。
 
パソコンがなければ、今ごろ信用と友を大いに失っていただろう。もっとも友はもともとあまりいないので、大きな影響はなかったかもしれない。信用はもともとあったかは疑わしいが、今あるかはもっと疑わしい。
 
人類は文字の発明によって、それまで口承で受け継いだ知識を人間の外に置くことを可能にした。さらにパソコンの一般化によって格段に多くの知識を外部委託できるようになった。それを進化と呼ぶならば、僕の記憶の退化はもっとも先端的な人類の進化である。
 
記憶を外部委託するものにとってやっかいなのは、昨今のおびただしい数の迷惑メールである。あなたの愛人になりたいという人がいます、とか、逆援助交際なるもののお誘いや、必ず会えますなどと、よけいなお世話なメールがあまりに多く僕の記憶は揺らいでいる。
 
問題は、これによって僕の記憶が変容していくことを自覚できるかだ。あれっ、あっし愛人探してたんだっけ?あっしのタイプってこういう人だったんだ?えっ、こんな年でホストになるって志願したんだっけ?
 
たのむ、僕の記憶を見ず知らずのあんたたちが作らないでくれ。
 
えっ、ウソウソ今日16日だっけ?15日だと思ってたー。あそー。いけないねー。記憶ってあてにならないねー。
 
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