井上逸兵のひとりごと
 
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2007年7月15日号
 
父と母のこと
 
© Ippei INOUE
 
またしても大地震があった。
 
被害に遭われた方々にはお見舞いを申し上げます。被害に遭われた方々がのんきにこれを読んでいる可能性はあまり高くないだろう。しかし、わずかな可能性をも追求するのが、研究者の正しい態度だ。ぼけっと暮らしているように見える小生も実はわずかな可能性を求めてじっと宝くじの当選を待っているのだ。ただし、宝くじを買っていない場合の当たる可能性まではあまり把握できていない。
 
小生の父親は若かりし頃より周囲から「ナマズ」という愛称(もしくは憎称?)で呼ばれていた。名は体をあらわすと古(いにしえ)より伝えられているが、どうもたんなる呼び名ではないことが徐々に明らかになってきていた。うそのような話だが、わが父なるナマズ氏は一時ナマズではない母と共に大阪に転居をしていたが、転居してまもなく阪神大震災が起こった。さらに恐ろしいことに、先日の能登の大地震の直前にも石川県内で、近距離だが引越しをしていたのだ。
 
ナマズの転居は大地を揺るがすとは、古より伝えられている通りである。
 
今回、ナマズ氏が新潟に何らかの移動を行ったという連絡は受けていないので、たぶん別のナマズが活動したのだろう。もしうちのナマズの移動のなせる業であったら、東大の地震研に即座に拘束されていたのは火を見るより明らかである。地震を予知できないことの腹いせに、見せしめに捕らえられていたにちがいない。
 
ところで、なぜ小生の父親がナマズなる愛称を与えられたかというと、顔がナマズに似ているかららしい。ちなみに小生は父親似といわれているが、小生のような美形のナマズがいるはずがないので、小生からはナマズ的遺伝子は消失しているようである。したがって、小生の移動には地震は伴わない。
 
うそのような話だが、小生の母親はよく白人(欧米人)に間違えられる。この前、大手術を受けて、術後たくさん管をつけていたのでしばらくしゃべれなかったが、それらがとれて話せるようになった時、看護師さんに「ああ、井上さん日本語しゃべれてよかった」と安堵されたという。
 
「道を尋ねたいんだけど、日本語、話せますか?」などと言われることは日常茶飯事であった。「話せまんがな」とコテコテの関西弁で答えて迷える旅人を仰天させていた。
 
しかしながら、子である小生を連れている時は、そのように白人に間違えられることは決してなかった。なぜだろう。まったくもって不思議だ。
 
「狐の子は頬白(つらじろ)」とは古より言い伝えられているはずなのだが。
 
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