井上逸兵のひとりごと
 
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2007年10月1日号
 
脳と指と
 
© Ippei INOUE
 
最近、何でも脳のせいにする風潮が強まっているが、それは間違っている。
 
たとえば、私がこのページに高尚な文を書いて世に問うとき、何を書くかはほとんど指が考えている。脳は考えていない。つまり、指がキーボードをたたき始めないと思考が始まらないでのある。
 
今日も何も考えずにキーボードをたたき始めた。するとどうだ!この美しく紡ぎ出される珠玉の文たちを。
 
私は何も考えていない。ただ指が勝手にこれを書いている。
 
ヤーデンフォッシュの猿エゴンの問いにもあるが、もし脳を移植したら、移植されたその人はどっちの人だろう。
 
もし私の脳が長澤まさみに移植されたとき、私である長澤まさみはガニ股で闊歩するだろうか。もし私の脳がパリス・ヒルトンに移植されたとき、私であるパリス・ヒルトンは突然スーパーマーケットに行きたがるだろうか。もし私の脳が沢尻エリカに移植されたとき、私である沢尻エリカはやたら低姿勢にすみませんを連発するだろうか。そうはならない。否である。我々は脳だけで生きているのではない。それ以上に、私であるこれらの女性に、これらの女性である私は抱きついて離れないであろう。
 
ひとりごとにおける私の思考のほとんどは私の指によっているが、さらに言えば、その指とキーボードとの接触によっているのだ。私がペンと紙とでひとりごちていたとすれば、たぶんぜんぜん違う話を毎回書いていたに違いない。ああ、今頃は芥川賞作家だったかもしれないのに。私は今日なぜ一人称が「私」なのか、そういえばよくわからないが、これも私の指とキーボードが相談して決めたのである。
 
1日も数十分経過しているが、悪いのは私の指なので、大目にみていただこう。まだ書かねばならない仕事が多く残っていて、ひとりごちている場合ではほんとはないが、私である私は眠くなった。私である私はもう寝たいが、私かどうかわからない、私として思考している私の指はどうか仕事を続けてもらえないだろうか。
 
ちょっと爪を切っておこう。あ、しまった、指切った。あ、あ、・・・。
 
きょう、ぼくはがっこうにいきました。うれしかったです。おわり。
 
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