井上逸兵のひとりごと
 
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2008年4月1+159(やばい)日、てことは9月6日号
 
バカとおバカと
 
© Ippei INOUE
 
おバカタレントブームらしい。
 
小生もおバカ教授ブームを巻き起こそうとしたが、どうやら本業を危うくさせるようで、受け入れられなかった。しかし、望みが持てることに、「おバカ教授」の「お」がとれたヤツという評判は勝ち得ている。
 
あんまりよく見たことがないが(最近テレビをゆっくり見る時間がないのだ)、どうもあのおバカと称される方々はそんなに知能が低いようには思えない。むしろ才気あふれるようにも見えなくもない。おバカ、おバカというが、叔母か伯母かの区別がつけられない、世の多くの人たちとそう大差はない。
 
「おバカ」と「バカ」とは明らかに違う。「おバカ」には愛が込められている。「バカ」は通常相手を非難することばである。ちなみに、おネエ系が「おバカ!」という場合の意味はまた違うので、バカには3種類はあることになる。さらにちなみに「バカボン」となると人間の等級が格段に上がるので、ここでは議論から除外すべきである。
 
何だか言語学っぽくなってきたので、このまま突き進もう。たしか、ほんとに言語学っぽくこういうことを書いたことがある気がしてきた。
 
人の「お株」を奪っても犯罪にはならないが、人の「株」を奪うと警察にごやっかいになることになる。おにぎりを「まる」にするとかわいくて食べちゃいたくなるが、おにぎりを「おまる」に入れると、とたんに食欲が失せるのは世の常である。読者諸兄も一度試してみるとよい。「負け」はたいがい嫌われるが、そんな人でも「おまけ(御負け)」は喜ぶ。そんなもんだ。言語学は人間のサガを見抜くことができるのだ。
 
かように、「お」をつければ何でも丁寧語になるというのはまったくの誤解で、言語はそんなに甘くない。ちなみに言語学も甘くないが、小生にだけは甘くしてほしい。
 
みそ汁を丁寧にいう「おみおつけ」は、大辞泉や明鏡では「御味御汁」と字を当てているが、ほんとうは広辞苑(第5版、いま6版がない)のいうように「御御御付」であろう。「おつけ(御付)」→「みおつけ(御御付)」→「おみおつけ(御御御付)」とどんどん「御」を重ねていったにちがいない(たぶん)。丁寧なのもいいかげんにしろってんだ。
 
丁寧すぎると嫌みになるというのも世の常だが、「お荷物」も「お生憎様」も「お上りさん」も皮肉やあざけりを意味することがある。「おバカ」には愛情がこもっているのに、「お荷物」は否定的になりうるのは、なぜか。知りたければ、小生の本を購入して読むと、その答えが見つかるかもしれない。立ち読みや借りて読むと、たぶん見つからないだろう。言語学は不思議なのだ。購入して読んでも見つからない場合は、言語学の不思議を呪ってください。
 
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