井上逸兵のひとりごと

 

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20143月号

 

東京オリンピックまでに車夫英語の復活を!(長いよ)

 

 

CIppei INOUE

 

 

お気づきの方もいらっしゃると思うが、というにはあまりにあからさまだが、いつもこの「ひとりごと」は、最後にことばネタに急展開させて結び、言語研究者の片鱗をちらつかせようというあざとさを丸出しにしている(実は片鱗しかないというウワサはとりあえず否定しておこう)。

 

だが、今回はちがう。真っ向からことばネタでひとりごちたいと思う。いや、ひとりごとというにはあまりにメッセージ性が高すぎて公安に目をつけられるかもしれない。

 

ソチオリンピックが閉幕したが、ことばネタ的な話題のひとつは、ソチでは、意外にも英語が通じない人が多かったという一部メディアの報道だ。日本語はけっこう通じたらしく、「どっち?」、「ソッチ」という会話が飛び交っていた(かもしれない)。それと連動してか、2020年の東京オリンピックに向けて、ホストたる東京都民、日本人の英語力をあげるべしという声が高まっている。

 

英語が得意な人たちややる気のある人たちにはぜひともがんばってもらいたい。しかし、その他の方々については、率直に言ってあまり大きな期待はできないだろう。過去の何度かのオリンピックがそれを証明している。

 

そこで提案したいのは、「車夫(しゃふ)英語」復活運動である。

 

「車夫英語」とは、明治の開国のころ、文字を知らない人力車の車夫らが英米人に直接接して耳から習得した英語由来のことばたちである。一方、本などを読んで文字から輸入した英語由来のことばたちは「書生英語」と呼ばれ、現在のカタカナ英語の大もとになっている。

 

車夫英語で今も残るのは「メリケン粉」(←American)、「カタン糸」(←cotton、おばあちゃんくらいしか知らないか)、「ミシン」(machine)などで、発音してみるとわかるが、「アメリカン」、「コットン」、「マシーン」よりずっと英語っぽい。当時は「テケツ」(←ticket、「チケット」)などもあった(でも複数形だと思われるだろうね。単数なら「テケ」か、今なら「ティケ」か)。

 

横浜あたりに来ている外国人が犬を連れて来ていて、Come here! Come here! と犬を呼ぶのを聞いて、車夫らは、犬は「カメ」と言うものと思い込んでいたという話もある。ずいぶん毛深いカメだと思ったことだろう。

 

いま、多くの日本人には膨大なカタカナ語の知識がある。ただ、残念ながらカタカナ語をそのままで発音すると、外国人には(英米系のみならず)もとの英語として聞き取ってもらえないものが多い(もちろん和製英語置き換え運動も必要だが、これについては別の機会に論じよう)。

 

そこでだ、車夫英語令なるものを発令し、書生英語的カタカナ語を厳重に禁止し、車夫英語に置き換えるという措置をとることを政府に進言したい。この措置をとらなければソチの二の舞になってしまう。

 

日本人が知っているカタカナ語を全部車夫英語に置き換えるだけでも、ずいぶんと英語でのコミュニケーションができる。語彙は力だ。英語教育も大事だが、期待ほど行き渡らないのがソチ、あ、いやオチである。この方がずっと現実的で効果が高い。

 

具体的には何が必要か。まずは文部科学省に文化庁とならんで車夫英語庁を創設する。しかたがないから、小生が初代長官を引き受けてやろう。場所は霞ヶ関はつまらないので、西麻布かせめて新橋あたりにしてもらおう。六本木はあんまり好きじゃない。お昼にはおいしいうなぎ屋とそば屋が出前をさめないうちに持ってこられるところがいい。

 

副長官は、ものはついでなのでクリステルという名の方でもよい。主として長官をおもてなししていただきたい。ちなみにクリステルは書生英語なので、彼女は改名せねばならない(「L」の音は車夫英語では基本的に「ウ」である)。

 

車夫英語庁では、カタカナ語→車夫英語置き換え表、和製英語→真正車夫英語置き換え表を策定しなくてはいけない。詳細については別の機会にゆずるが、例えば道案内に必要と思われる「マップ」(地図)はそのままでは、異文化異言語適応力のある外国人じゃないとわかってもらえないことがある。これは「メアップ」に置き換える。その方がずっと通じる。

 

もっとも重要なのは、一般人への徹底である。なんと言っても人々はテレビ、新聞、さらにはインターネットのことば使いに大きく影響を受ける。これにはメディア規制を敷かなければならない。車夫英語庁の外部局としてメディアカタカナ英語監視局をおく。局長には、デヴィという名のご夫人を任命する。「ヴィ」を「ビ」でなく言えるようになれば、かなりの進歩だ。この運営についてはメディア検閲の先進国であるあの隣国に学ぶことにする。

 

書生英語を使ってしまった番組は指導として監視局長を次回から出演させねばならないことにしよう。NHKのニュースでもドラマでもなんでも書生英語を使えば局長がつねに画面の片隅にいるようにする(いやいや罰ではない、指導である)。もれなく法令遵守されるはずである。

 

あー、久しぶりにまじめにひとりごちたので頭が痛くなってきた。ニッポンのために働くのは骨が折れるのである。

 

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