漢字で生きている私たち

© Ippei INOUE

漢字で生きている私たち

とある大型書店の受験参考書売り場。別にもう一度受験しようと思ってるわけではないが、ち ょっと見たいものがあっておもむいていた。

居合わせた高校生の会話がとてもかわいかったのでここにご報告しておこう(ちなみに男子)。 どうも英語の参考書の「受動態」のところを開いて論議していたらしい。

男子 A:おれさー、この「クマ」っていうのよくわかんねえんだよ。 男子 B:なに「クマ」って?
男子 A:ほらこれこれ(と参考書を指さし)、「ジュ、ドウ・・・クマ」? 男子 B:(爆笑)ばーか、それ「クマ」じゃねえよ、ギャハハハハハ。 男子 A:え、まじ?なになに、なんだよ。(赤面)

男子 B:「ノウ」だろ、ギャハハハハハ。

私は教育者として、明日の日本を担うこの高校生たちの会話に介入すべきか深く思い悩んだ。 しかし、どうしても笑いを抑えきれず、おまけに鼻水があふれ出てきたので、彼らに顔を向け ることすらできなかった。無事、高校を卒業してくれることを願うばかりだ。とにかく、よく ここに来た!

たしかに、「態」と「熊」と「能」の字はよく似ている。我々が音だけで生きていれば、決し て間違えないほど意味は違うのにである。漢字は便利だ。少ないスペースで、一目見て意味が わかる。タトゥーにしたくなるほどかっこいい。しかし、漢字で生きるには利点と不利点があ る。よいことがあれば、その分たいへんな苦労もある。アイスクリームに過度な涼を求めれば、 脳天を痛めるのと同じである(かもしれない)。

かく言う小生にも、原辰徳(現読売ジャイアンツ監督)が甲子園を沸かせていた子どもの頃、 「東海大相模」を「とうかいおおずもう」と読んでいたイタイケな過去がある。音では「とう かいだいさがみ」を応援していたにもかかわらずである(あのチームはほんとにすごかった)。

まだケータイもなく、若人たちがペンを取ってラブレターを書いていた時代、「僕の恋人にな ってください」の「恋人」を「変人」と書き誤ってしまうのは、当時の映画・ドラマのお決ま りのネタだった。ケータイ・PC 時代の現代では、誤りは主として誤変換なので(「ではらいし ゅう(来週)」のつもりが「出原異臭」としてしまうなど)、漢字の間違え方が異なってきてい るのである。

知らない方からメールをいただくことがたまにあるが、そういえば、先日、「見識のない先生 に突然メールを差し上げるご無礼をお許し下さい」という書き出しのメールを頂戴した。あー 悪かったな!見識ないの何で知ってんだよ!ほんとに無礼だ。まあ字を間違えたのかな?っ て、「面識」とぜんぜん似てないだろ!でも、古典的とも言うべきネタを頂戴してちょっと感 謝。

2008 年 4 月 15+154 日、って、ほんというと 9 月 18 日号

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