平成「藤井聡太・大谷翔平」論−平成最後の慶應中等部年鑑巻頭言として

ひとりごと

慶應義塾中等部年鑑「中等部/2019」巻頭言(2019(平成31)年3月)を多少改変。

平成「藤井聡太・大谷翔平」論−平成最後の慶應中等部年鑑巻頭言として

 

中等部長 井 上 逸 兵

平成という時代が終わろうとしている。中等部生にとって、中等部にとって、そして日本、日本人にとって、平成とはどんな時代だったのだろうか。言うまでもなく以下は個人的な見解だが、私なりにこの時代を振り返ってみたいと思う。

最近では、アスリートの口から「試合を楽しむ」ということばが聞かれることも珍しくなくなった。インタビューでも「明日の試合は楽しみたい」などと言ったりする。平成生まれの若い人たちには意外かもしれないが、昭和のスポーツ選手には、競技において「楽しむ」という語彙はなかった。もし甲子園の高校球児からそんなことばが出ようものなら、指導者にこっぴどく叱られていたであろう時代だった。グランドで歯を見せるな!と言われたら、平成の若者なら、はあ?という反応かもしれない。歯を見せるとは、つまり、笑顔を見せるということだ。それが許されない時代だった。歯は見せないで食いしばるものだった。それが一概に悪いとは言わないし、言えない。それが昭和だったように思う。

平成になってそのような空気もずいぶんと変容する。ためしに、朝日新聞と読売新聞をひもといてみよう。それぞれ「聞蔵Ⅱ」、「ヨミダス歴史館」という両新聞記事のデータベースで見ると(「試合を楽し」で検索)、「試合を楽しむ」という表現が最初に新聞紙上に現れたのは、1985年(昭和60年)だが、この年は1件のみで、1件のみが3年続く。そして、平成に入り、この表現は徐々に多用されるようになり、1993年(平成5年)には年間の使用数が20を超え、1997年(平成9年)には50の大台にのる。読売新聞においてもほぼ同じ傾向を示していて、読売では昭和時代の使用はゼロである。明らかに、「試合を楽しむ」は平成の産物なのだ。

「試合を楽しむ」表現と意識はアメリカのスポーツから入ったものと考えられる。日本人の伝統的な考え方は、一所懸命にがんばることによって、実力以上のものが出せる(かもしれない)、というものだった。しかし、欧米人は、楽しんで、リラックスした方が自分の実力を100%出し切れる、と考えるのが一般的である(実力以上のものはそもそも「力」ではなく、「運」である−日本語で試合前の選手に掛けることばの典型は「がんばれ」だが、英語ではGood luck!)。どちらもベストを尽くそうとしているのだが、考え方に文化の差がある。ちなみに、New York Timesの”enjoy the game”の初出は1872年にまで遡る(もっともこの新聞の創刊は1851年なので、他にも遡れるならもっと以前からあったかもしれない。また、英語の場合、表現もいろいろある)。

競技を「楽しむ」というこのような平成の空気が、私に思い起こさせるのは、将棋の藤井聡太棋士とメジャーリーグの大谷翔平選手だ。楽しそうに、昭和の世代の常識を次々と打ち破る活躍を続ける。その他にもたくさんの平成生まれの立派な若者がいるが、最近ではこの二人が象徴のように私には思える。

ところで、いわゆる「ゆとり教育」は、1992年(平成4年)の文部科学省の学習指導要領の改訂あたりから、狭義には2002年(平成14年)から、2010年代、平成では20年代前半までを指すようだが、この教育を受けたものたちは、「ゆとり世代」と揶揄されたりもした。「ゆとり教育」を受けたものは今日では被害者扱いされる向きさえもある。

「ゆとり教育」が生み出したものは何か。端的に言えば、「二極化」、「格差」なのだと私は思う。万人に対する「詰め込み」によって平均点の人間を多数生み出すことをやめた教育が生み出したものは、「ゆとり世代」と非難される人たちと藤井聡太や大谷翔平に象徴されるようなとんでもなく優れた若者たちだ。彼らが実際にいわゆる「ゆとり教育」を受けたかは知らないが、平成の時代の風潮がそうさせたと思われる。

ここで中等部に目を向けると、手垢にまみれ、悪のレッテルを貼られがちな「ゆとり教育」が本当は目指したかったのは、中等部が看板に掲げているようなバランスのとれた教育だったのではないかと思う。勉強もし、「校友会(部活動)」や課外活動もやる、文科省が謳った「生きる力」はまさしく中等部が育んできたものだ。「ゆとり教育」は、総じて言えば、うまくいかなかったという人は多い。しかし、その理想型は中等部ではとっくの昔からずっと目指してやってきたことなのだ。中等部は各界の藤井聡太や大谷翔平を生み出してきたし、たぶんいろんな種類とスケールの(笑)「藤井・大谷」がたくさん巣立っていった。そして、平成の次の時代も、またその次の時代も「藤井・大谷」を世に送りつづけるにちがいない。

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